お大師様の頃の「色」

宝亀5年(774)にお生まれになった御大師様の頃より少し前のものですが、1つの万葉歌を見ながら御大師様の頃の「色」について考えたいと思います。
文武四年(700)4月4日、明日香皇女が亡くなった時の臏宮期間中に柿本人麻呂が詠んだ挽歌です。

〈本文〉
明日香皇女の城上の臏宮の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 併せて短歌
・・・(前略)うつそみと 思ひし時に 春へは 花折りかざし 秋立てば 黄葉かざし 敷栲の 袖たづさわり 鏡なす 見れども飽かず 望月の いや愛づらしみ 思ほしし 君と時時 出でまして 遊びたまひし 御食向ふ 城上の宮を 常宮と 定めたまひて あぢさはふ 目言も絶へぬ しかれかも あやに悲しみ ・・・(以下略)・・・           塙『補訂版 万葉集 本文篇』(巻2・196)
〈訳文〉
・・・いつまでもこの世にいらっしゃるお方だとお見うけしたご在世の時、春には花を手折って髪に挿し、秋ともなると黄葉を髪に挿してはそっと手を取り合い、いくら見ても飽きずにいよいよいとしくお思いになったその夫の君と、四季折々にお出ましになって遊ばれた城上の宮なのに、その宮を、今は永久の御殿とお定めになって、じかに会うことも言葉を交わすこともされなくなってしまった。そのためだろうか、むしょうに悲しんで片恋をなさる夫の君、・・・ 伊藤博『万葉集 釈注一』

歌中傍線部「うつそみと 思ひし時に」以下14句に、生前の春の花や秋の紅葉といった色鮮やかなものをかざしての華やかな皇女の姿を描き、それが二重傍線部「目言も絶へぬ」という、「見えないこと(目)・言葉を発しないこと(言)」という言葉を使い歌って皇女の死を表現しています。
これを五蘊の考え方と照らし合わせてみます。
「うつそみと 思ひし時に」(識蘊)と回想を始め、「目言も絶へぬ」(受蘊)に至るまの、
「春へは 花折りかざし ・・・(中略)・・・ 遊びたまひし 御食向ふ」(色蘊)は、眼
根を中心にしながら鼻根・身根・耳根を織り交ぜて豊かに表されていと言えるのではない
かと考えます。

御大師様が感じていた「色」も上記万葉歌のように豊かだったのではないでしょうか。

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