平穏への祈り

五月はいよいよ春の到来を感じる私にとって大好きな月です。

桜は満開に咲き誇り、草花は生い茂り、虫も活発に活動を始める。長い冬を耐え忍ぶ北海道において待ちに待った季節の始まりです。

しかしながら今年の五月はそんな春を楽しむ余裕のない状態です。

中国湖北省武漢市より全世界に広まった新型コロナウイルスは収まる気配を一向にみせず、多くの人々を苦しめ、命を奪い、更に広がりをみせています。この大惨事は私達を先の見えない暗闇へ突き落しました。

この先どうなるのか、どうなっていくのか、全く見通しの立たない不安、恐怖は日に日に募るばかりです。今年の元旦を迎えた頃に中国で何だかウィルスが大変らしいと聞いた時、それは明らかに対岸の出来事でした。うちの子供を診てくれている小児科の先生には「コロナウィルス自体はそこらへんにもあるものなので、あまり過剰に警戒しなくても大丈夫ですよ。」と言われ、少し安心したのを覚えています。

それから四か月余り、世界中で現在三百万人以上が感染し、二十万人以上もの尊い命が失われています。この数字は今後さらに増え続けることでしょう。そして先日、ついに我が市内での感染者が発表されました。もう安心した気持ちはどこにもありません。いつどこで自分が感染してもおかしくない状態です。このウィルスの怖いところは、自覚症状がなく他人にうつしてしまうことがある。症状が急変して命を落としてしまうことがあることではないかと思います。もし自分が感染して無事だったとしても、身近な人の命を危険にさらしてしまうでしょうし、多方面に迷惑がかかります。コロナウイルスで亡くなってしまえば、葬儀はできず、火葬されたお骨を受け取るだけになってしまいます。そんなことを考えていると恐怖しか湧いてきません。

そして恐怖は私達の心を蝕み、自暴自棄になったり、攻撃的になったり、ネガティブな感情を増幅させます。そうならぬ様に私達ができることと言えば、不要不急の外出を控え、自身が感染しない、感染させない気持ちを強くもち、我慢強く耐え忍び、心を平穏に保つことです。

一日でも早いウィルスの終息、ワクチンの開発、平穏な日常を祈ることが僧侶の使命だと強く感じる日々です。

最後に最前線でウィルスと闘っている医療従事者の皆様、及び関係者の皆様に感謝の気持ちを込めて。

自分達にできることをしましょう。

合掌

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