毎日の「ちょっと」を楽しく過ごす事

厳冬の候、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

さて、私は僧侶になってから日も浅く、これからまだまだ勉学を重ねて行かねばならぬ身でございます。

当然、最大目標はお寺の業務を1人で回せるようになることですが、その前にも小さな目標がいくつかあります。

そのうちのひとつとして肺活量を増やすことです。少しでもお経の途切れ、再呼吸を少なくして行きたいと思っております。たとえば光明真言を三遍、息を切らさずに楽に唱えることが出来るように、その日その日の調子を見てチャレンジしております。

行僧時代、当時の先生に「お経は一息で少しでも長く唱えることが出来たほうが良い。なんなら最初から最後まで切れない方がいいくらいなんだ」と言われ、それに強く共感しました。皆様にとってはもしかすると「光明真言三遍くらい余裕だろう」と思われるかもしれません。しかし元々子供の頃から風船も膨らませることができないくらい肺活量のない私にとってはなかなかに過酷なチャレンジになっております。

また、どんな物事に関してもそうですが、物ひとつの見方を変えることで、場所によっては少々場を沸かせることができるのではないかと思います。たとえばここに1つ輪ゴムがあります。これをまずハサミで切り1本の線にします、その線に指輪を通してください。指輪を通したらゴムの両端をつまみゴムの中間あたりを右手で指輪を追い越さずに(指輪は左手の方に寄せておいてください)つまんでください。そして、そのままゴムが切れない程度に右手で引っ張り下に少し傾けてください。そうしたら、指輪を右手の方まで寄せてください。そして、ゴムをつまんでる右手を離さない程度にゆるめてください。

どうでしょうか?指輪が重力に逆らい上に上がっていくように見えると思います。このようにただ何かをまとめておくだけの輪ゴムも見方次第でまったくの別物に変化します。

私は私生活の中で普段外出中はもちろん家の中で調子が悪い時でも、少しでも楽しく過ごそうと思っております。なぜなら前述の輪ゴムのお話と同様、自分自身も見方捉え方次第で全く違う自分になれると信じているからです。人生の座右の銘にいくつかありますが、そのうちのひとつに「毎日のちょっとを楽しく」と考えながら過ごしています。

たとえば、普段のお参りで檀家さんのお家で線香を点てるときに、当寺の場合は2本使うのですが、お家によっては香炉のサイズが小さかったり大きかったりします。大きい場合はそのまま2本を線香立てから取りますが、小さい場合は1本取ってそれを折り2本にします。その時に同じ長さに折れた時は1人心の中でニコニコしています。

こんな風に「毎日のちょっとを楽しく」過ごされてはいかがでしょうか?

文章 K氏

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