お盆を迎え思う事

地域によってお盆を迎える季節になってきました。先日とある信徒さん宅に伺った時でした。神前にてご法楽を終え、お布施と共に赤飯を頂きました。「何かおめでたい事がありましたか?」と聞くと、お盆なので仏前にお供えする為に作ったとの事でした。それを聞いて拙僧は驚きました。なぜならば、拙僧の家ではお盆に赤飯をお供えした記憶はありませんでした。また信徒さんからはなぜお盆に赤飯をお供えするのかと聞かれました。それは地域限定なのか菩提寺の指示なのかと色々と話していましたが、結局は先祖が帰って来るからめでたいからではないのかとの結論に至りました。

気になって調べてみたら、赤飯の赤色は呪力があって災を除ける力があるとの事で、祝い事のみならず、仏事にも凶を返して福を招くために食べる事によって、縁起直しをしていたそうです。また、各地へ出稼ぎや就学などで散った家族が一か所に全員顔を合わせて、祖先を含めて一家が集まる「家庭のお祭り」と考え、「お祝い事」として捉えたようです。

さて、お盆に関しては非常に気になる事がありました。とある日ラジオを聞いていたら、「お盆玉」とそれに伴う解説が耳に入りました。正月にお年玉として子孫にお小遣いあげていたのを、お盆の時期にも小遣いをあげる事との解説でしたが、これを聞いた瞬間、「また変な風習を流行らせようとしているのか!」と心中怒りました。

これも気になって調べてみると、発祥は江戸時代に山形県の一部地域において、盆に奉公人に対して衣類や下駄を渡す風習があり、昭和初期に子供に小遣いをあげるように変化していったと言われているが、全国的では無かったようです。それが封筒の製造販売会社が作った造語で商標登録をされ、二〇一〇年より専用のポチ袋を販売したそうです。心中とはいえ怒ったのは恥ずかしい事ではあるものの、元々地域限定の風習を全国に流行らせようとするのは、商業的な物事に利用され、賛同は出来ません。節分の恵方巻も然り。また「特別な小遣い=お年玉」のイメージを持つ拙僧にとっては、お盆玉を新しく設けて特別な小遣いにするのは、子孫を甘やかすのではないかと考えています。また少ない年金を受け取っている高齢者のみの世帯からしてみれば、孫の顔が見たいが為に更なる金銭的な負担が増えて、生活が困窮しかねない状況になり、逆に孫からはお盆玉が原因で亡き後に追善供養をしてもらえない事も考えられてしまいます。

ご先祖様を迎えるお盆が、お盆玉によって「物事の荒廃は人による」(性霊集)の原因にならない事を願い、良い盆が過ごせるよう願います。

文章 N寺 K師

Comments are closed.