一滴の水にも、一粒の米にも
先日、今イタリアのミラノで開催中の食の万博の特番がNHKで放送されていました。『ミラノ食の万博 おいしい地球の英知』という題でしたが、その中でスローフードという言葉を初めて耳にしました。
スローフードとはハンバーガーなどで知られる早い、安いなどの効率を重視したファーストフードに対抗した言葉で、その土地独特の食文化を守るという理念があるのだそうです。
番組内で、スローフードの内容の説明の一つに『正しい値段』というのがありました。『正しい値段』とは何かというと『生産者にとっての正しい値段』なのだそうです。
昔ながらの飼育法で広い土地に放し飼いになっている豚と、近代的な飼育法で建物の中にぎゅうぎゅうづめになっている豚の写真が展示されていました。
ぎゅうぎゅうづめの豚の写真を見ていると、こんな状態で飼育していて病気にならないかと不安になってしまいました。
しかし、より安く経済効果を求めるならぎゅうぎゅうの方が良いのでしょう。
法外に安い物の裏には無理が生じます。だから『正しい値段』が必要との考えなのです。
しかしながら、『正しい値段』で無い食べ物が多く存在するのであるなら、それは買い手である私たち消費者にも問題があると意識すべきでしょう。
なぜなら生産者は消費者の欲しがる物をつくるからです。より多く売って、もうけをだしたいのだから当然のことです。だから、私たちがひたすら安さだけを追求するなら、食べ物の品質が落ちたり、安全性が疑われたりする状況になるのは当然なのです。きつい言い方をすれば、より安い物が欲しいということは生産者により安く働けといっていることと同じなのです。長時間、安い賃金で働かされることを想像できれば良い食品ができなくなることが理解できるはずです。
私が大学生の頃、高野山で林間学校に来ていた中高生が食事の前にこのようにお唱えしていました。
一滴の水にも天地の恵みがこもっております
一粒の米にも万人の力が加わっております
ありがたくいただきましょう
いただきます
安い、高いなど目の前のことも大事だとは思いますが、食べ物が私たちの口に入るまでの多くの御縁のありがたさに、想いをはせる時間も必要ではないかと思います。
文章 T師