利益

利益という言葉を、商業的に(りえき)と読めば金銭的な獲「得」を意味しますが、
仏教的に(りやく)と読めば生活上の獲「徳」を意味します。

なお、どちらの利益も自分で何らか行動を起こし、その結果として与えられるもので、何もしなければ何の利益も無いですし、因果=先の原因が後の結果を生み出す、というのは仏教の大前提でもあります。
どちらの利益も自分に幸福をもたらす点においては変わり有りません。
ですが、利益を得るための行動において、私たちはもう少し考えた方が良いように思います。何故ならそれが本当の幸福に繋がるのか、一時的な夢で終わるのか、それももまた自分の行動次第だからです。

昨今、世間を賑わせているスキーバス転落事故において子どもを失った一人の親が非常に深いコメントを発信しています
「この事故は、無理をしてでも利益を生み出そうとする社会的なひずみが生んだ悲劇」
コストカット、労働条件の非改善による利益追求の結果がこの有様であると指摘しているのです。
これは、商業的な獲「得」が本当の長期的な幸福に結びつかなかったという最悪の一例でしょう。

仏教的でいう利益もまた同じです。
1、自分で幸福を願って努力する→2、そこに神仏が司るとされる良い因縁が訪れる→3、そこに徳が生まれてこの世での幸福につながる→4、この世界全体もそうであるように願い、幸せをお裾分けする→1にもどる
これが真言宗の考え方ですが、如何でしょうか?
4をカットしては、仏教的な獲「徳」もまた長くは続かない。そう弘法大師は教えておられます。

文章 K寺 M師

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